平成20年3月26日水曜日

私の祖母

フン・ファム

四年前私は私があまり話さなかったそ父母と一緒に新しい家に住んでいました。そ母はたくさんのおぼえている古い事を話すのが好きだから、今私は母の家ぞくのれきしをもっと知っています。知っている人の中で、そ母が一ばんやしいくておも白い人だと思います。子どもの時に、そ母はあたまがよかったが、男の子とけんかしたり、木にのぼったりするのが好きだったから、いい女の子じゃなかった。そ母は「子どもの時のほうが今より生活がかんたんだった」と言っていました。そ母の高校の時にそ母の家族はお金があまりなくなりましたから、そ母はアルバイトがあって、家ぞくをてつだいました。だからやさしくて、きれいな女の人になりました。高校の後に、そ母は大学に入るつもりだったが、その時に、女の人は大学を入ってはいけなかったから、ベトナムの一ばん大きい町のサイゴンに電車で行って、病院でナースになりました。六十年前にそ母の国は電気が少なかったから、りょう行するのは大へんでした。でもその時にそ父は電車につとめていましたから、電車でそ母に会いました。そ母は「その時私はぜんぜんけっこんしたくなかったが、そ父が大好きになった」と言っていました。そして、そ父とけっこんしていて、男の子が二人と女の子が四人いましたが、二人がなくなりました。今、たくさんのそ母が知っている人もなくなりますが、大好きな人のそばにいるから、そ母はさびしくないと思うと言っていました。

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