先週日本語のクラスはミックスして、たのしかったと思うけど、ぼくのクラスにあたまがよくて、日本語がペラペラ(fluent)な人がたくさんいたから、とてもびくりした。ぼくの日本語を話すのがあまり上手にならないと思って、かなしかった。私は日本語を話すのが上手になりたい。そのクラスの後、ぼくはもっと新しいあいづちをならった。たとえばそのクラスでぼくは「いよいよ」や「なんでもいい」をつかった。またミックスするクラスに行って、新しい日本語のクラスをとっている人に会いたい。その日のほうがかわい先生もすごくやさしかった。^^
スピーチドラフト (Feedbacks are much welcomed ^^)
四年前私は一緒に私があまり会って話したそ父母と私の新しい家に住んでいました。そ母はたくさんのおぼっている古い事を話しのがすきですから、今私は母の家族のれきしをたくさん知っています。知っている人の中で、そ母が一ばんやしいくて、おも白い人だと思います。
子どもの時に、そ母はあたまがよくて、うんどうするのがすきでしたが、そ母の父母が好きじゃなかったことをするのがすきですから、よくない子だった。そ母は「子どもの時のほうが今より生活はかんたんでした」と言っていました。後で、そ母の家族はお金があまりなくなりましたから、そ母はアルバイトがあって、家ぞくをてつだいましたから、やさしくて、きれいな女の人になりました。高校の後で、そ母は大学に入るつもりだったが、その時に、女の人は大学を入ってはいけなかったから、ベトナムの一ばん大きい町のサイゴンに電車で行って、ナースになりました。六十年前にそ母の国は電気が少ないありましたから、りょう行するのは大へんでした。だから、その時にそ父は電車につめていましたから、電車でそ母に会いました。そ母は「前に私はだれもが好きじゃなかったけど、どうやってそ父が大すきだった」と言っていました。そして、そ父とけっこんしていて、男の子が二人と女の子が四人がいましたが、ふたりがなくなりました。
今、たくさんのそ父が知っている人はなくなりましが、大好きな人そばにいるから、そ母はさばしくないと思うと言っていました。
2 件のコメント:
ファムさんの日本語もとても上手になっていると思いますよ。このごろ、ファムさんはとてもがんばっているからね。だから、かなしくならないで。高いもくひょうをもってがんばって。
さとう先生、
私はがんばります
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